野上シロ’s blog

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私の抱える障害(解離性同一性障害編)

 私は精神手帳2級を持つ、世間的に見れば精神障害者だ。診断名は2つADHD解離性同一性障害だ。今回は解離性同一性障害について書きたいと思う。

 

 解離性同一性障害と聞いて、「あーあの病気ね」とピンとくる人はいるかもしれない。フィクションなどで名前は知っていても、どのような原理で、どのような世界を当事者たちが見ているのかを知っている人は尚更少ないと思う。

 解離性同一性障害精神科医の中ではDID[Dissociative Identity Disorderの略]と呼ぶ人もいる。1番わかりやすく言うのであれば多重人格だ。解離性同一性障害解離性障害を少し知っている人はすぐに多重人格を思いつくだろう。ここで、私が強調しておきたいのはあくまでも多重人格は解離性障害の一部でしかないということだ。大まかな枠として、解離性障害がありその中でかなり重度で多重人格が見られる場合、解離性同一性障害となる。なので、多重人格以前に解離性同一性障害を患っている人間は前提として、解離性障害の症状があることを念頭に置いていただきたい。解離性障害の症状が重くなると多重人格を引き起こす。それに解離性障害とはいかなくとも、健常者と呼ばれる人間にも解離症状というものが存在する。

 

解離性障害について】

 解離性障害の要因となるのはトラウマ体験、いわゆるPTSDだ。解離性障害の前段階と言っても差し支えないのが「複雑性PTSD」だ。最近では、秋篠宮家の眞子さま複雑性PTSDを発症したことで知っている方も多いと思う。複雑性PTSDは壮絶な体験(戦争やいじめ、虐待など)を受けたあと、それに付随するような出来事、物、感覚などからその時の状況がフラッシュバックする。私の場合は、視覚情報とは別でその時の光景が浮かんだり、ある一定の音で身体が硬直し動かなくなったりする。

 その複雑性PTSDになり得る状況下に人間が置かれ続けると、人間は自分の精神を守ろうとする。脳は自分自身がストレスに耐えきれないときに、その記憶を消去したり、あるいは体を脱力させたり様々な働きをする。よくあるのが、交通事故を起こしたり、交通事故にあったりしたときなどにそのときの状況がすっぽりと抜け落ちてしまうようなことなどがある。殺人事件などの容疑者が「よく覚えていない」と言うのもそれにあたる。普通の人間であっても一時的には解離状態に陥ることは稀ではない。

 解離性障害は、PTSDを引き起こす環境に長くいたことで起こる障害で、主な症状としては記憶の健忘、フラッシュバック、身体の脱力、そして離人症と呼ばれる症状も見受けられる。離人症とは、オカルトチックな言葉を使えば幽体離脱に近い。自分の体から自分が抜けてしまい、まるで三人称視点で自分を見ている状態になってしまうことだ。私の場合は、身体の一部感覚が遮断されたような鈍い感覚になる。一番想像しやすいのが、朝起きた時に手などを体の下敷きにしてしまって触っても他人の手みたいに感じるような状態に近い。

 

解離性同一性障害について】

 解離性同一性障害解離性障害の最も重い段階とされており、多重人格の症例が見られると診断を下される。解離性同一性障害の多重人格のメカニズムとしては、解離性障害の記憶の健忘や離人症の状態が続いてしまった時に、脳がその間の体の穴埋めをしようとして起こる。離人状態や健忘状態では脳が危険と判断し、そこに代わりとなるいわば自分の分身を作り上げる。その状態が頻繁に続くと、穴埋めをしていた代わりが意思や人格を持つようになり、完全に主人格と呼ばれる元の人格と分断されるようになっていく。

 

 ここまで、説明を書いたが文章の内容を理解はできても、想像することは難しいだろう。解離性同一性障害を患っていない人に1番わかりやすいのが、職場や学校、家などでどんな人間でも違う顔を見せていることだ。学校ではすごく陽気で元気でも、家では大人しくて真面目という子供も多いだろう。これは、人間がナチュラルに人格を入れ替えていっていると言ってもいいだろう。けれども、普通の人間が人格が変わったように見えるとき、それはあくまでも表面的なものであり、その奥に内包している自己は変わらないだろう。ただ解離性同一性障害の人はその奥の自己さえも表面の顔に歪められてしまっている。だから、まるで別人のように人格が交代する。

 解離性同一性障害で1番有名な人は、アメリカの殺人鬼ビリー・ミリガンである。『アルジャーノンに花束を』で有名な小説家ダニエル・キイスが彼のことを小説にもしている。彼は24の人格があったと言われている。彼の人格には女性の人格も、異なる言語を話す人格も存在したという。ただ、彼の話だけで解離性同一性障害すべてがそういうものだと勘違いはしないでほしい。

 

【私の解離性同一性障害

 私は幼少期から、ネグレクトと虐待を受けて育った。母は世間的に見れば決してひどい親ではなかった。ただ、彼女も精神疾患を患っていたのだと今では思う。いじめも受けたし、年齢に相応しくない経験もたくさんした。高校の時には母が自殺をした。

 私が思い出せる一番最初の症状は、不思議なものだった。魂というものがあるのなら、自分が間違った体に入れられてしまったような気がした。物心ついたときには、自分は他人の身体に入り込んでしまった悪魔みたいなものだと思い込んでいた。そのくらい自分の体に違和感があった。

 私が解離性同一性障害の症状が顕著になり、自分がおかしいと気がついたのは、大学生の時だった。買ってもいない服が増えたり、知らない言動を人づてに聞いたり、挙げ句の果てには違う人格同士で別々の女の子を好きになり、同時期に告白して人間関係が大変なものになった。そんなこともあり、私の精神状態は荒んでいき、自傷行為が激しくなった。そして、自殺未遂をし大学を中退した。当時はなんで自分は生きているのに向いていないのだろうかと絶望した。少なくとも、自分では悪い人間ではないと自分のことを思っていたのに、どうして私は人とうまく付き合えないのだろうか。これは、自殺した母が私に残した呪いなのではないかとまで思った。

 私の身体には、7人の人格がいる。そのうちの2人は女性だ。だから、メイクだってするしネイルもする。私はある意味幸運だと思う。今でこそジェンダーレスが叫ばれている世の中だから、男がネイルやメイクをしていても、そこまで違和感はないだろうが少し前であれば、見た目だけで奇異な人間だと見做されてしまっただろう。

 

【私の症状】

 解離性同一性障害をネットや論文など、あるいはフィクションなどから調べたりしている人がいるかもしれない。私は当事者として、だかしかし解離性同一性障害の患者全般としてではなく、あくまでも私個人として私の感覚や症状を書いてみようと思う。現在はカウンセリングでEMDRという治療を行っている。

 まず、私を困らせるのは健忘症だ。妻と結婚して初めの頃は、私が言った、妻が前も言ったのに聞いてない、などの理由で度々激しい喧嘩になった。まるで、私が嘘をついているかのようで本当に嫌だったし、妻は私の解離性同一性障害を受け入れた上で交際をしてくれた人なので、妻も頭では受容していても現実的に一緒に生活をしていく上でかなりのストレスがあったと思う。今では妻も私も、私の健忘に対してのアプローチをすることで穏やかな結婚生活を送っている。

 次にひどかったのは、脱力感だった。今でも時折あるが、離人症に当たるとは思うがフラッシュバックの引き金になるような出来事に遭遇した時、私の体は私の意思で動かなくなった。まるで餌を取り上げられたハムスターがフリーズしてしまうみたいに、手や足の力が抜け空っぽになる感覚がした。

 そしておそらく、私がほかの人と違う部分で明確なものが一つある。それは自分の周り、大きくいうならば世界との隔たりだ。私の感覚では、世界との間にまるで薄い膜が張ってあるように感じる。もし身体障害者の体験をするように、私の体の感覚を体験するのであれば、耳にはティッシュが詰め、体を泡まみれにして、視界は映画のスクリーンのようにすればわかるのかもしれない。そして、人格によっては味を感じないせいで辛いものしか食べられなかったり、痛みを感じないせいでかなりひどい自傷行為を行ったりもしていた。

 

【現在の状態】

 現在はカウンセリングでトラウマの治療を行いつつ、人格同士のコミュニケーションが取れるように練習をしている。昔の解離性同一性障害の治療のゴールは人格の統合。つまりは、元々バラバラになってしまった人格を元に繋ぎ合わせるというものだったが、現在では必要だったからこそ人格が分かれたと捉えられるようになり、無理に人格統合は行わないのだという。つまり、割れたガラスが完全に元に戻ることはないのと同じように、割れたガラスをどう他に使うか考える方が大事ということだ。

 解離性同一性障害についての本やウェブサイトを見ると、記憶に関してかなり私と違うと思う部分がある。まず、ほかの人格同士が記憶を共有することはほとんどない、ということは違う。そして、よく書かれるのが主人格は全く他の人格の記憶がない、というものだが、それはあくまでも治療をしていない初期段階だと思われる。治療が進めば、ほかの人格の記憶を全てではないにしろ共有ができる。ただ、人格同士ムラがあるのは否めない。

 解離性同一性障害において、最も怖いのは嘘つきだと思われてしまうことだと思う。本当は苦しいのに、それを否定されてしまう。それが何よりも辛い。そして、自分は多重人格なんかではないと自分で自分を疑い始める。けれども、この病は社会的にも異常者とみなされるだろうし、実際に関係を持つとかなり人を困惑させてしまうかもしれないが、解離性同一性障害の治療の何をゴールとするかにもよるが、バラバラになってしまった自分を受け入れて愛していくことが大切なのだと思う。

 解離性同一性障害は世界的に見ても、アメリカなどは別として、そういった病気はないと言い切る国や日本においてもそういった精神科医は少なくない。おそらくそれは、どうしても症状が現実離れしているからだと思う。それに、多感な思春期の子どもや(言ってしまえば)拗らせているような人が、SNSや日常的になどで自分は多重人格だとして振る舞っているケースがあったりと、未熟さが目立つかもしれない。ただ、本当の解離性同一性障害を抱える人間は、壮絶な過去を体験して生き抜く為にそうならざるを得なかったのだと思って欲しい。

 

 けど、私は思う。私は多重人格で普通の人とは呼ばないかもしれない。けれども、私は6人の人格がいるという個性を持つただの1人の人間なのだと思う。だから、私は世間的に見れば自分は障害を持っているとは思うが、そんなことを気にせずに1人の人間として人と付き合っていきたい。

 

 

私の抱える障害について(ADHD編)

 ブログの文章を書くのは初めてのことなので、読みにくさを感じることが多少あるかもしれないがご容赦願いたい。

 

 私の抱える障害は精神障害である。身体の障害とは違い、注意深く観察しても判別がつかない障害だ。私の病名はADHD解離性同一性障害だ。精神障害者手帳の2級を持っている。

 

 ADHDについては、近年発達障害の認知度が高まったことによって知っている方も大勢いるのではないかと思う。ADHDは日本語では「注意欠如・多動症」などと呼ばれている。ADHDには大きく分けてふたつの傾向に分かれる。本などでは、ドラえもんのキャラクターになぞらえて「のび太型」「ジャイアン型」などともいわれることがある。

 前者の「のび太型」は集中力がなく、物忘れが多いことなどから注意欠如の傾向が高いとされている。集中力が全くないわけではなく、一つの物事に対して向き合おうとしたときに、他のことに気が逸れ、最初にしようとしたことを忘れてしまう。

 後者の「ジャイアン型」は自分の思い通りにならないと些細なことで不機嫌になったり、落ち着きがなく短気に思われがちな面がある。小さいころや小学校などで、椅子に大人しく座っていることができなかったり、自分の欲求に対してストレートであることが多い。大人になってからは、多動性が治まる人が多い傾向にある。だが、大人になって困るのは衝動性による浪費だったり、異常な行動力で協調性がなく見えてしまうことだろう。

 

 最近では、子供の発達障害発達障害グレーゾーンという言葉も普及したため、子供の落ち着きのなさから発達障害を疑う親御さんも多くなっている。ただ、あくまでも子供時代に可視化されやすいのは後者の「ジャイアン型」いわゆる多動性が優勢な発達障害のケースが多い。

 

 ここまでつらつらと説明を書いてきたが、どれも本やウェブサイトなどにも載っている情報なので、その他の発達障害などは割愛させていただき私自身のことを書いていこうと思う。

 私の発達障害のタイプは注意欠如優勢型、つまり「のび太型」である。私が発達障害の診断をもらったのは成人してからのことである。私は21のときに結婚し、はじめて家族以外の人間と住むようになって、自分の障害に気がつくことができた。それ以前は、自分はあくまでも他人と同じだと思っていたし、自分の抱える生きづらさも他の人だって抱えているものだと気がついた。思いなおしてみれば、小学校の頃から宿題の期限を守れたことは数少ないし、注意力は散漫でよく道でこけたりもした。

 精神科でIQテストを受けることになり、言語IQが130、ワーキングメモリー(瞬間的な記憶)が80と言語IQとワーキングメモリーの差が大きいため、ADHDだと診断された。今では、服薬をしているためか以前よりはましにはなったが、成人してからの私の不出来さに自分で辟易することも多い。

 

 薬を飲んでいても忘れ物はいまだに絶えない。ただ、薬を飲む前は家の鍵を閉め忘れたり、鍵を持たずに仕事に行き、後から出かけた妻の帰りを待つこともしょっちゅうあった。いまでこそ、携帯に様々な決済アプリや交通系ICのアプリがあるためなんとかなってはいるものの、財布をよく忘れレジで恥ずかしい思いをすることはしょっちゅうだった。

 仕事では、任された仕事の期限を忘れてしまう傾向のある自分に気がついていたため、任されたその日に仕事を完了させていた。そのためか、仕事ができると勘違いされがちだったため、さらに仕事を任されるという悪循環にはまったりもした。多くの職種では、出勤してからメールを確認したり、日報を確認したりする仕事があるだろうが、私はパソコンの立ち上げ設定で自動で出勤時に確認すべきことを強制的に見るように工夫をしたりもしていた。けれども、どれだけ気を付けていても不注意によるミスは絶えず、職場によってはいじめを受けたこともあった。

 

 これは今でも治らず、ここに書くのも忍びないが、片付けがどうしてもできないのは変わらない。片付けをしようと思ってもついつい手に取ってしまった本を読んだり、スマホの着信があれば気が逸れ、そこからYouTubeを開いてしまったりとなかなかうまくいかない。

 

 また、私自身注意欠如型だとは前述したが、ADHDの症例は完全に分断できるわけではなく、私にも多動性、つまり「ジャイアン型」にあたる部分が少なからずある。予定を立てるということが苦手で、基本的にその日のうちに思い立って行動をしたり、本が好きなので、古本屋や本屋に行くと見境なく本を買ってしまうこともある。それにたちが悪いことに、同じ本を買っていたりすることもある。

 

 発達障害の認知度が高まったことで、どうしても発達障害の良い面だけがフューチャーされがちだ。例えば、トーマス・エジソンASD自閉症スペクトラム)だったとか、ADHDだとスティーブ・ジョブズやウィル・スミス、黒柳徹子などが有名だ。どの病気や障害でも有名人がそれを患っていると、その有名人たちと同じようなポテンシャルを持っているのではないかと錯覚されがちだ。特に、精神にかかわる障害だと尚更その傾向は強まっていく。精神だけではなく、IQにも同じようなことが言えると思う。たとえ人口の数パーセントしかいない高IQだったとしても、その高IQというレッテルを貼った人たちで一括りにしてしまうのは、間違っている。だから、いかに発達障害で成功している人がいても、発達障害の人は一芸に秀でていてすごい功績を残すかもしれないというバイアスは捨ててほしい。発達障害を抱える人間も千差万別だし、発達障害者という一括りにすることは差別の萌芽になるのではないかと思う。

 

 結局のところ、私が何を言いたいのかというと私は障害を抱えて生きているけれど、ただの一人の人間だ、ということだ。どんな人間だって名前のない障害を抱えていきていると私は思う。例えば、骨折したところが雨の日に痛くなるとか、人の話をよく聞けないとか、自分の小鼻が大きいとか、そんな些細なことだって他人にはない自分だけの障害だと私は思う。私の障害は、今の社会で名前がついているにすぎないのだと思う。だから、私は私の障害ごと自分だと思っている。

 

次回は、ADHDよりもさらに私を悩ませている解離性同一性障害について書きたいと思う。ここまで、長い文章を読んでくれた方はありがとうございます。